私のタイムラインは医師とか育児アカウントが多いのですが(まぁ集めてるからね)、それぞれいろいろな立場でいろいろな意見があって、個人的にはとても面白いのですが、時々うーんと思うような意見に遭遇することがあります。
真意は分からないので、それを否定したいわけでも晒すつもりでもないんですが。

内容は大したことなくて、ツイッターでつぶやいている程度のことなんですが、何だが長くなりそうなのでこっちで。

相変わらず取り止めはない。

今どき、どこの学会でも「女性外科医」関連のセッションはあって。
ひょんなことからその手のセッションに演題を出すことが多くなりました。当然ながら今までの論文や発表に目を通したり、セッションを聴講したりと、問題を提起して、動かそうとしている方々の考えに触れてきました。

中には「理想が高いなぁ、すごいなぁ、まだ無理だなぁ」と思うこともあるし、「この陰で苦労を被る人もいるのかなぁ」と思うこともあります。
でも、自分の身の回りで意識調査をしたり、その結果を形にするために相談したりすると、そもそもの感覚がもう違うなぁと思ってしまったりもします。
かつての女性外科医の置かれた立場は、多分我々には想像もつかないようなバッシングだったり、いやがらせだったり。同僚からも患者さんからも。今活躍する先生方は、もれなくそんな逆境を乗り越えてきた先生方だし、まさにスーパーウーマン。尊敬の念しかないです。そして、今私たちが、それなりでも仕事ができているのは、そんな先生方のおかげ。

だけど、今はもう21世紀で、平成も越えて令和で。
そんな先生方の努力のおかげで今があるのは確かだけれど、でも今は「昔」ではない。
「男女共同参画社会」なんて今更な話で、男とか女とか、性別を超えた個性の話が流行っているのに。「え、今どき…?」みたいな話があるのは事実。

確かに妊娠と出産は女性にしかできないし、少子化のいま、女性が安心して出産できる体制を作るのは大切だと思う。
(出産するしないとか、できるできないはちょっと話がこじれるので一旦わきに置きます)
でも、子どもを育てるのは、家族の面倒を見るのは、家族みんなの役割じゃないのかな。
もちろん「家族」は親二人だけを指すわけじゃないし、祖父母の助けを借りられない人もいるだろうし、第三者の手を使ってもいいと思う。だけどそれは、「男性が育児をしないこと」ではない。
「働き方改革」と言われている中で、いつまで「男は外で働くもの」「女は家庭を守るもの」なんて言ってるのかな。
役割分担は家庭の中で決めればいいことだから、「夫が働いて、妻が家事をする」のも「夫も妻も働いて家事をする」のも、「夫が家事をして、妻が働く」のも、その家族が決めたことならそれでいいと思う。というか、どの決断であっても受け入れられる社会を整えてほしい。

女性は「妊娠、出産で穴が開くし、子どもがいるとすぐに休んだりやめたりするから雇えない」じゃない。社会を形成する我々は、子どもを育てていく権利がある。それは男性も同じで、男性だって出産のときや、子どもが急に熱を出したときに、休んだりしたっていいはずだし、それで冷遇されることがあってはいけないはず。みんながみんな、同じタイミングで休んだら大変だけど、一人が欠けるだけで回らなくなる会社は、そもそもの体制が間違っているのでは、と思うのです。24時間365日、仕事に専念していなきゃ築けないようなキャリアなんて、いつまでも続かないと思うのです。
「医師に代わりはない」なんて、代わりを務められるように下を育ててこなかったことにも問題があるし、一人医長でどうしようもないとしたら、それはその地域の医療計画の問題なので、行政の問題になってくる。「医師が労働条件にケチ付けるなんて」というかもしれないけど、そもそも労基法でも雇用契約でも決まっているはずのことだし、勤務時間外に家事をしようが勉強をしようが、それこそ仕事をしようが個人の自由だけど、だからこそ他人から強制されるものでもない。
でも、その問題に胡坐をかいて、「あぁ、気づいたら子供がでかくなったなぁ」なんて言う人がいなくなってほしいな、というのが本音。「この労働条件じゃ働けない」と男性も声を上げることが、これからの働き方を変える力になってくれるんじゃないかな、と期待している。

だから、「女性外科医」の問題は、女性の問題ではない。
女性が輝ける社会は、男性も働きやすい社会。

外科医の、外科の、これからの問題だと、声を上げていきたい。し、それが、しばらく私の、スーパーウーマンではない、やる気に満ち溢れているわけでも、何かに秀でているわけでもない私の、できる仕事なのかな、と思ったりしてみる。


外科にちょっとでも興味がある人が、「外科に進んだら周りに迷惑をかけるかな」という理由で、外科を諦めることがなくなりますように。